礼拝の招き

神は主イエス・キリストにおいてすべての人間を神のみ前に招いておられます。

わたしたちはこの神の招きに応えて礼拝するのです。神を知り、神を礼拝することは、人生の大きな目的です。あなたもこの恵みの中に招かれています。ご一緒に礼拝いたしましょう。

 

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」

(マタイによる福音書11章28~29節)

 

1.礼拝について

 礼拝は、神に招かれたわたしたちが、主キリストにある神の恵みのわざをほめたたえて、「神を拝む」ことです。神は礼拝においてわたしたちに臨み、御言葉をもってわたしたちに語りかけ、み旨を示されます。それに対して、わたしたちは聖霊の助けにより、心を一つにしてざんげと讃美と祈りと感謝をささげます。こうして礼拝は生ける神とわたしたちとのキリストにある交わりが、この世界の中で具体的にされるときです。

 従って真の礼拝は、聖書にもとづいて福音が正しく説かれ、聖礼典が正しく行われ、悔い改めの真心をもってそれを受けるところに成立します。

 

 主日礼拝はキリストの復活を記念する主の日(日曜日)にささげられる公同の礼拝であって、教会と信仰が成り立つための基本的な集いです。

 

2.礼拝の流れと意味

礼拝前   礼拝堂に着席したら静かに礼拝開始を待ちましょう。黙祷し聖書を黙読しましょう。

 前奏    心を静めて、神様の御前に出て礼拝する思いを整えましょう。

 招詞    礼拝への招きの言葉が聖書から語られます。礼拝は神の招きによって始まるのです。

 詩編交読  旧約聖書の詩編の一部を、司式者と会衆とで交互に読みます。

 黙祷    一週間の生活の感謝の時をしばらく持ちます。

 ざんげの勧め

       罪の告白(ざんげ)の勧めが司会者(司式者)によってなされます。

       そして次にキリエ・エレイソン(主よあわれみたまえ)を司会者(司式者)、会衆、司会者(司式者)の順で交唱します。

 ざんげの祈り

       司会者(司式者)、会衆が共に罪の告白の祈り(ざんげの祈り)をします。私たちは自らが罪人であることを認めるのです。

 ゆるしの言葉

       悔い改めと信仰の内に神の御前に出る者は、すべて、罪を赦(ゆる)すという神による無条件の約束が保証されます。赦(ゆる)しの言葉として新約聖書ヨハネによる福音書3章16-17節の御言葉が読まれます。

 讃美歌   全員で神様をほめたたえる歌を歌います。礼拝の中で基本的には3曲の讃美歌と、献金の讃美歌、頌栄(初めと終わり)を皆で歌います。日本基督教団出版局発行の「讃美歌」「讃美歌21」を用いています。お持ちでない方には受付でお貸しします。

 聖書    旧約聖書と新約聖書から、その日の説教で説き明かされる箇所が朗読されます。日本聖書協会の「新共同訳聖書」を用いています。お持ちでない方には受付でお貸しします。

 祈祷    司会者(司式者)が、教会を代表して神様に祈りをささげます。会衆は聞くことによって祈りを合わせ、最後に「アーメン」(「その通りです」という意味)と共に唱えることで、教会全体としての祈りであることを表します。

 説教    朗読された聖書の説き明かしです。牧師が語る言葉を通して、神様からの語りかけを聞くのです。

 聖餐    毎月第一日曜日の礼拝と、イースター、クリスマス等の特別礼拝では聖餐が行われます。聖餐は洗礼を受けたクリスチャンが、イエス・キリストが私たちの救いのために肉を裂き、血を流して死んで下さったことを記念し、その体と血とをあらわすパンと杯にあずかる儀式です。礼拝の中でそれが行われます。礼拝において、説教を聴き、聖餐にあずかることによって、今も生きて共にいて下さるイエス・キリストと共に生きるのがクリスチャンの生活です。

 信仰告白  代々の教会が伝えてきた信仰告白である「使徒信条」を皆で唱えます。週報の最後のページをご覧下さい。洗礼式のある礼拝では、「日本基督教団信仰告白」を唱えています。

 献金    神様への捧げものです。

 主の祈り  イエス・キリストが「このように祈りなさい」と教えて下さった、私たちの祈りの基本です。

 頌栄    父・子(イエス・キリスト)・聖霊である三位一体の神様を賛美します。

 祝祷    牧師により、神様の祝福が告げられ、各自の生活へと派遣されていきます。

 報告    週報に基づき、教会の予定などが報告されます。共に祈りに覚えていくためです。

 後奏    「礼拝の後奏曲は、宣教への前奏曲である」とも言われます。